昔から絵を描くのが好きな母でした。
家じゅうのあらゆる紙という紙にキラキラした眼の少女達を書き散らかし、いつのまにかあちらこちらに母のイラストが散乱しているという環境。
(だいたい話をしてると口と連動して、手がとまらなくなるようなタイプのようでした。)
当時、多感な時期だった私は学校で自分のランドセルの中から少女漫画イラストがでてきて辟易したことを覚えています。
絵以外にも、化粧品会社の美容部員をしたり、紙粘土アートの教室や個展をしたり、とにかくパワフルな母でした
私はどうかと言えば、絵心なんてまるでなく・・、本はたくさん読んだかな?
酒と本とバカ騒ぎの学生時代をぼんやりとすごし、なんとなく就職。
まぁ、男なんてそんなものだと半分言い訳にしてますが、隣県にいるので車を飛ばせば2時間ほどの距離に居るにもかかわらず、なんだかんだと実家に寄りつかず、電話をしても愛想なし。
あっという間に時は過ぎて・・・
なにかのついでに実家へ寄り、久しぶりにゆっくりと話すと、母は少し元気がない弱気なおばあさんになっていました。
ちょうど新型ウィルスが流行していたこともあり、作った作品を見てもらう機会もないとこぼす母。
そうでした、母は昔から人との交流が好きで他人とパワーを交換して生きている人なのでした。(あやかしの類ではありません・・・たぶん)
肩を落とした小さい母にワタシはついぽろっと言ったのです。
「NFTってのがあってね、今書いてる書画をNFTにすると全国どころか全世界の人が見られるよ」
どこかで聞きかじっただけの知識しかないのにテキトーな事を言ったものです、そのころの私。
「なに!それ!」
予想外の食いつきようにとまどう私。
「ちょっと今から書くから!」
なんだかやる気満々になった母はちょっぴり元気に見えました。
こうして私のNFT研究がスタートしました。
NFTの世界はとても刺激的で、もともとふらふらしている私はNFT界隈で出会う愉快な人たちにたちまち夢中になり、当初の目的を忘れて寄り道ばかり・・・すまぬ、母。
でも、最近思うのです。
母は世界に発信したいという動機は半分。
もう半分は、寄り付かない息子とやり取りができるのが嬉しいのかな?と、少しくすぐったい感じでやっております。
これって親子DAO?
そして、今日も
「ねぇ!木の切株に顔書いたけど、どう?いる?」
「いや、取り込みにくいわ www」
いつまでたってもかみあわない会話もそれはそれで、よしとしましょうか。